この日は、12月28日の金曜日で、病院は明日からお正月休みでした。
この日の朝、出かけに、主人は、小島医師と退院する退院しない。で言い争いをしました。
この日退院する予定でいたので、主人は、朝から、息子に、
『ジミーちゃん、今日、帰れるよ。早く帰ってお風呂に入ろうね。明日は、温泉だよ。』
と、話しかけると、息子は、とても楽しそうに声を上げて笑い、朝の食事も、1分でも早く帰りたいと希望していたのか、とても速いスピードで、平らげたそうで、主人から、朝の食事の直後に電話がかかってきて、
『今日は、ジミーがとても機嫌がいいんだ。帰れる事を知っているからね。』
と言っていました。
しかし、それから、間も無くして、主人から、怒ったような感じで、電話がかかってきました。
『若松先生がいないんだ。今日の午前中、10時ごろには、退院できるって言っていたのに、探してもいないから、今日は、退院できない。って小島先生がいうんだよ。主治医が見つからないなんて。考えられないよ。そして、そんな事が理由で健康な子供が退院できないなんて、その為に、もう一日、ウイルスだらけの病院にいなさい。なんて話は、聞いた事がないよ。今、小島先生が来たから、もう一回言ってみるよ。』
そう言って、主人は、電話が私と繋がった状態で、小島令嗣と退院について言い争いを始めました。
二人の会話を聞いていると、小島令嗣の話しの内容が、どう考えても不自然な話しに聞こえました。
主人が、若松医師の携帯に電話してほしい。というと、小島 令嗣は、『もう、かけました。』といいます。主人が、
『それじゃあ、私の目の前で、もう一度、電話をしてほしい。』と、頼むと、小島 令嗣は、
『その言い方は、なんですか?貴方は、私の話しを信じていないんですね!』と、声を大きくしてどなっていました。
私も説得したのですが、『若松先生がいない。』の一点張りです。
私は、一旦、電話を切って、再度、かけなおし、主人にいいました。
『入退院の事務の方に、事情を話して退院をお願いしてきたら。』
主人は、一旦、電話を切って、入退院にお願いに行ったのですが、驚く事に、入退院の方が、仰るには、
『小島先生から退院させないように。』と言われている。という理由で、退院を許してもらえなかったのです。
『一体、どうなっているんだ?』
という不自然さを感じましたが、主人は、この日、午後から、赤坂のニューオータニに、ロシアから有名なエンブリオロジストが来ていた為、どうしても、会議に出かけなくてはいけませんでした。その為、午後、10時ごろには、病院を出なくてはいけなかっ為、『病院の規定だ。』と小島 令嗣に言われた為に、退院を明日に延期する事を仕方なく承諾したのでした。
小島 令嗣医師と主人の会話
主人
『ドクター小島。こんちには。ジミーちゃんは、今日は、朝から機嫌が良く、笑ってばかりいます。今日、退院だという事を知っているから、普通の2倍ほどの速さで朝食を食べ終えました。明日から、お正月で京都に行くので、途中、大好きな温泉に一番すると知っているので、温泉の話しをするとわらってばかりいます。』
小島医師
『あーあ!そうですか?でも、多分、退院はできませんね。』
主人
『えっ!今日、退院ですよ。ドクター小島。もう、26日から、全く、問題がありません。』
小島医師
『どうしてって、それはですね。病院には病院の事情がありますから。』
主人
『事情?意味分かりません。どういう事ですか?若松医師は、どこにいますか?』
小島医師
『今日は、28日でドクターが少ないので、若松医師は、こちらに来る事ができません。だから退院は明日になります。
主人
『意味がわかりません。若松医師がこちらに来る事ができないから、退院があすになるなんて、そんな話しは、他の病院で聞いた事がありません。』
小島医師
『それなら、今度から、他の病院に入院するんですね。ここでは、そのようになっていますから?』(後で、この話しが、嘘だという事を知らされます。)
主人
『今日、退院と聞いていたから、仕事納めの会議と忘年会を入れているという事は、2日前から、貴方に話していた事です。明日、退院になったら、ジミーちゃんは、今から明日の朝まで一人になってしまいます。そんなことはできません。W医師を探してください。』
小島医師
『退院できないといったら出来ないんです。若松先生もみつかりません。』
主人
『探していないのに、どうしてわかるんですか?』
小島医師
『どんなに待っても若松先生はきませんよ。学会だったかな?だから、退院は明日なんです!』(少々、逆上的な言い方)
病院内にいると言ったり、学会だと言ったり、結局、10時近くまで待ちましたが、若松医師はみつからず、主人は、息子に『明日の朝、一番でパパは、迎えに来るからね。そしたら、明日は、大好きな温泉だよ。だから、おりこうさんにして待っててね。』と言って、病室には小島医師のみにして病室を後にしたのです。
後ほど、若松医師の口から告発された内容に基づけば、息子は、主人が病室を出て行った後、僅か30分ほど?もしくは1時間?から2時間以内で植物人間状態になった事になります。同時に、この同じ時間帯に、息子の頭に、2回ビニール(ナイロンの薄い)袋を被せたと、告白されています。(録音テープあり。)
幸いなことに、殆どの会話は録音されていましたので、異常なほど何度もチェンジする医師や婦長の言葉に、病院ぐるみの隠ぺいがある。と、いう事実は分かっていますが、何度、お願いしても、警察が動いてくれない為に、今でも、防衛大学病院で何が行われていたのか?なぜ?息子は、この7年間地獄のような苦しみを感じなくてはならなかったのか?その答えは、今もでていません。
事実、若松医師自身が、息子の症状について、以下のように、何度も話しを変えるため、今でも真実が分かりません。
しかし、確実に分かっている事があります。それは、間違いなく、息子が防衛大学病院で植物人間状態以上脳死未満に陥った。という事実です。
1、息子さんは低酸素脳症である。
2、息子さんは、二酸化炭素ナルコーシスである。
3、頭にビニール袋を被せたのは30秒が2回です。
4、頭にビニール袋を被せたのは、30秒と10分です。
5、頭にビニール袋を被せた時、酸素を使用していませんでした。
6、頭にビニール袋を被せた時、酸素を使用していました。
7、頭にビニール袋を被せた時、立ち会ったのは、若松医師と、小島医師とI婦長です。
8、頭にビニール袋を被せた時、立ち会ったのは、若松医師と、岩鼻看護師長と樋口看護師です。
9、息子さんは、28日の日は、全く、問題がありませんでした。
10、息子さんが様態が変わったのは、28日の10時から12時の間です。
しかし、この時、主人が、明日への退院を承諾した為に、私達は、一生、公開する事になるのです。
この後、主人が病院を出てから、約1時間ほどで(午前11時ごろから)、息子は、頭にビニール袋を2回被せられ、
呼吸停止したのだと聞いています。
この話しは、若松医師、小島医師、岩鼻婦長、樋口看護師の4名が取り囲んで、息子の頭にビニール袋を被せた。と認めています。
1回目 若松医師 小島医師 岩鼻婦長
2回目 若松医師 岩鼻婦長 樋口看護師
驚く事に、この日、小島医師から
『12月28日な為、医師が非常に少ない為、若松医師が、手が離せない。若松医師が見つからない。出張かもしれない。』
と、聞いていたはずなのに、なぜか、其の忙しいはずの、医師が少ないはずの12月28日の午前11時から午後13時までの、約2時間の間、この小児科に取って、重要な4人が、息子の病室にいて、息子の頭にビニール袋を被せるところを観察していた。というのです。
この話しは、誰に聞かせても、違和感を感じる。と言われます。
そのくらい、この話しは、異常です。
しかも、この時、息子は植物人間状態になった。と後から、若松医師も、小島医師も、岩鼻婦長も、樋口看護師も認めていますが、主人が、発見した約20時間後の12月29日の朝の5時半ごろの到着した時には、医師も看護師も、口をそろえて、
『昨日は、何の問題も無かった、健康だった。』
と嘘をついていたのです。
私が、他の病院の知人の大変優秀な心臓外科医師を呼んで、すぐに息子の状態を診てもらうと、この知人の医師は、驚いた様子で、以下ように言いました。
1、息子の瞼が閉じなくなっている事。
2、瞳孔が拡張している事。
3、目が真っ赤に充血し、白い膜が掛かっている事。
4、身体の硬直。
5、42度の高熱。
6、ミオクロ―ニス癲癇(呼吸停止や低酸素脳症などで、脳がダメージを受けた時に出現する癲癇)
などから、この心臓外科医師は、
『ジミーちゃんは、少なくとも12時間以上前に、何か問題が発生して植物人間状態になった。と思われます。この目の充血と厚い白い膜が証明しています。』
と教えてくれるまで、この防衛大学病院の若松医師も、小島医師も、岩鼻婦長も看護師も、誰もが、口をそろえて、
『全く、昨日は、健康体でした、状態は、非常に良好でした。』
と、答えていたのです。
事実、12月28日のカルテは、2種類ありました。(実際には、もう1種類数ページコピーしてもらったカルテ有るので、実際には3回カルテを頂いています。)
1種類は、私が、1月の3日の日に、看護師に頼んで、コピーを取ってもらったものであり、もう1種類は、随分後になってから、病院側に頼んで、取ってもらいました。
この2種類のカルテは、不可思議なほど、全く、異なります。(アメリカの弁護士とFBIに、証拠として渡してあります。)
今回、開示可能なものは、簡単にペーパーバックとだけ書かれた、異常なほど、簡単な内容のカルテになります。
あまりにも簡単に書かれている内容と、12月28日という医師も看護師も少ない時に、小児病棟の主だった医師2名と看護婦長、看護主任が集まるという厳重な監視下の元、息子を取り囲んで行われなければならないような内容の治療がされたのであれば、それ相当の内容が医療カルテに書かれていなければならないはずです。
しかし、このカルテは、誰が見ても異常なほど、殆ど、何も書かれていません。
通常であれば、若松医師が、この時間帯には、≪植物人間状態になった。≫と告白しているのですから、植物人間状態になった事が、かかれていなくてはなりません。同時に、体温や詳しい酸素濃度や血糖値や血圧、など、それに意識障害のレベルなどが、書かれていなければいけないはずです。
しかし、書かれているのは、
11時前くらから
過呼吸 叫ぶ
瞳孔拡張あり
SPO2(血中酸素濃度) 80以下
過呼吸ある為、ペーパーバック行ったところ 落ち着いた。
今回のエピソードは、過呼吸 + けいれんと考える
と、だけで、全く、植物人間状態になった事がかかれていません。
このカルテには、私が、小島医師に追求したことだけしか、書かれていないのです。
多分、この時点では、若松医師が、私に告白してしまった事を小島医師に伝えていなかったのかもしれまん。
ただ、はっきり判る事があります。
このカルテには、小島医師の署名しかありません。
まるで、小島医師一人で対応していたような印象を受けます。
どう見ても、若松医師 小島医師 岩鼻婦長 担当看護師 という仰々しい他人数の管理下で行われた内容とは、程遠いような内容しか書かれていないのです。
実際、最初、小島医師に聞いたところ、≪小島医師一人で行った。≫と、最初は告白していたのですが、途中から、4人で行った。と変更するなど、彼らは、いつも、話しが、変更していました。
又、このカルテには、≪落ち着いた。≫という言葉が、書かれていますが、実際に、若松医師が告白してきた内容は、全く、異なりました。(録音テープあり。アメリカで公開中。)
この時、息子は、実際には、以下のような常態であった。と後日、若医師と小島医師は、告白しています。
1、午前11時から午前12時の間に頭にビニール袋を2回被せた。
2、呼吸停止を起こした。
3、二酸化炭素ナルコーシス、もしくは低酸素脳症の状態で意識不明。
4、瞳孔が開き、光反射は無く、瞼を閉じる事もできない状態。
5、身体を動かす事も、反応する事もなく、硬直した身体で横たわっていた。
6、41度から42度の高熱。
7、血糖値300。
8、ミオクロ―ニス癲癇。
まさに、植物人間状態もしくは、自発呼吸が、あまり出来ていないことから脳死に近い状態であった?可能性がわかります。
しかも、彼らは、惨い事に、この後、主人が発見する20時間ほど後までの間、主人に、事実を気づかれては困る為に、一切の治療をしていなかったのだそうです。 余りにも残酷です。
通常であれば、素人が考えても、最低でも以下のような治療が必要であることは当然です。
1、高熱を下げるクーリング。
2、血糖値のコントロール。
3、閉じることのできない瞼に薬とアイパッチ。
4、ミオクロ―ニスのコントロール。
これ以外にも、脳細胞が破壊されない為の薬品の使用や脳のクーリングは、最も大切です。
しかし、彼らは、全く、一切の治療をしていなかったのです。
20時間近くもの間、42度から41度の高熱だというのに、一度も、氷枕さえ使用していなかったのです。
目を閉じる事ができない。というのに、開かされた目の儘、20時間も放置させられたのです。
残酷物語です。
アメリカの署名運動の支持者の方々は、『誰もが虐待・拷問だ。』とショックを受けています。
これを治療と呼べと言われても、呼べるわけがありません。
まさに拷問?虐待?と考えるのが、当然ではないでしょうか?
子供には治療を受ける権利があります。
障害者には、生きる権利があります。
憲法違反である。とアメリカの弁護士にいわれています。
どこの世界に、どこの病院に、11歳の子供の頭にビニール袋を2回も被せて、植物人間状態にさせた。というのに、其の事実が、全く、書かれていないカルテを書く医師がいるのでしょうか?
しかも、いつ亡くなっても不思議では危篤状態だというのに、彼らは、誰一人として、その事実を私達に連絡することなく、12時10分には、岩鼻婦長が、訳の分からない電話をかけてきていますが、一言も、息子の危篤状態について触れることなく、事実を隠していました。
この電話についての詳しい内容は、
その後、午後2時ごろ、午後6時ごろ、午後9時ごろに、私は、病院に電話をして、息子の状態を確認していますが、
若松医師も、当直の医師も、息子の状態について、
『全く問題が無い状態だから心配しなくても良い。』
と、私に嘘を伝えているのです。
何か、隠したい事実があった。と思うのは、当然ではないでしょうか?
他の看護師さんに聞いた話ですが、午前11頃、確かに息子の部屋から大きな叫び声を聞いた。と言っている人がおりました。この看護師さんは、息子の血糖値が、300あったことや、3時ごろ息子の部屋に入って痰を取りに行ったところ、息子は、瞳孔が開き、瞼を閉じなくなっていた。と、教えてくれました。
普段、おとなしい子供で、怒ったり叫んだり。することなどありません。
一体、何をされたのか?
どれほど、恐ろしかったのか?
と、考えると、可哀そうで可哀そうで、涙が止まりません。
絶対に許される事ではありません。
防衛大学病院だからと言って、何をしても許されると思っているのでしょうか?
防衛大学病院の他の医師からは、大学病院内には、スパイの教育を受けている人がいる。という話しを唐突にされました。
何を言いたいのか分かりませんでしたが、私を脅かしたつもりだったのかもしれません。
若松医師からも、『自分は軍医で、軍の教育を受けているから、』という話しを何度か聞かされました。
又、防衛大学病院の岩鼻婦長の医療カルテには、まるで、私が、嘘を言っているような被害妄想であるような書き方をしている記載がありました。
多分、私を被害妄想に仕立て上げて、私の言っている事実を、すべて作り話しであるようにしたかったのでしょう。
ただ、残念ながら、わたしは、病院を信じていませんので、会話の殆どを録音していましたので、私の言っている事のすべてが、事実である。という証明が可能です。
反対に、これだけの証拠がある為、岩鼻婦長の手口が見え見えで、異常性や人間性や、又、確実に、息子に対して虐待がされた事を暴露しています。
アメリカの息子のNPOの支持者や世界の有名小児科教授や主人の知人のペンタゴンやダーパなどの知人の間では、この話しは、有名です。
日本の大学病院による小児科病棟で行われた障害者への前代未聞の虐待!としてです。
虐待?という言葉が、間違っていると思いますか?
しかし、それ以外に、親へのインフォームドコンセントも無く、全くてんかんの無い11歳の子供の頭に、ビニール袋を被せて呼吸を停止させる。という行為を、何と呼んだらよいのでしょうか?
しかも、カルテには、てんかんの為に?と、嘘が書かれているのです。
1、嘘の理由!
2、親へのインフォームドコンセントなし。
3、親への植物状態。呼吸停止。新杯停止。などの危篤の報告もなし。
これでは、医療ミス。業務上過失傷害。という罪名で呼ぶには、程遠い内容になっている。とアメリカのニュースキャスターに言われました。
アメリカのNPOの支持者が、言いました。
私達は、現在、息子がされた拷問?虐待?を国際法、憲法違反として、国際警察に捜査をして貰う為の署名運動を開始しています。既に、沢山の署名が集まっています。
カソリックの有名神父様などが、多くの支持者に声をかけてくださって、思いもよらないほど沢山の方々の指示を頂き、息子を助けるための祈りのイベントの準備もされています。
現在、息子は、病院が変わっても苦しんでいます。
なぜ?息子が、このような目に合わなくてはならないのか?
その回答は、アメリカ国籍の子供が、他国で拷問にあっている。と考えてくださったアメリカの方々が出して下さるようです。
何が真実なのか?
どうぞ、現在も苦しんでいる、息子を助けていただけますよう、心からお願い申し上げます。
